おやじの独り言

“ネバーギブアップ” の精神を身につけるためには?

七転び八起きとでも言うのでしょうか。

幼少期から水泳、習字などの習い事が多かった私は常に人との
競争と直面していました。

負けず嫌いな性格の子供ではなかったつもりですが、いつしか
負けて悔しい思いをします。


生い立ちにも記していますが、
スイミング教室に1つ年下の近所の子と通い始めます。

最初の2ヶ月くらいは同じ級にいたのですが、半年も過ぎると
みるみる追い抜かれていきます。

“ネバーギブアップ”の精神の芽生え

悔しくて悔しくてというほどではありませんでしたが、
級が離れるにつれ、通う時間帯も曜日も変わりました。
2年を過ぎたころには、その子は市の大会にも選抜され
練習メニューも完全に競泳型になります。

一方私は、相変わらず水泳の型を習うクラスでのんびり練習しています。
背泳ぎのクラスで私は立ち止まり、下の子たちにドンドン抜かれていきました。

習い始めてから4年目にやっと少し級があがりましたが、もう時すでに遅し、
(今考えるとそんなことはないのですが・・)
完全に心は折れてました。

大好きだったスイミング教室をやめることにしました。
あまりの悔しさにもう二度と水泳なんかやらないと心に誓います。

おそらく親も知らない事でしょう。

特に運動神経が良くもなく悪くもなくでしたが、
運動、特にスポーツがドンドン嫌いになっていきました。

野球少年時代の画像

野球少年時代もあった

野球も数年間やりましたが、たまに出る試合では
エラーばかり。

背番号は53

ゴミのライパチとあだ名をつけられます。

ライパチとはライトで8番バッターのこと。なぜだか当時は9人の中で一番下手なポジションはライトで、打順は9番がピッチャー8番は一番打てないという意味があった。

負けることが悔しく感じる瞬間は必ずある

さてさて、ここまではまだお遊びですが、
小学校6年生の時に小さなキッカケがあり、
私立中学校を受験します。

小さなキッカケとは、すぐ近所に住んでいた4つくらい上の中学生グループに可愛がってもらい
遊んでいる時に、その先輩たちが部屋でシンナーを吸っていました。(もちろん何が何だかわかりません。)
一人の女の先輩が裸になり始め、先輩とちゅぱちゅぱエッチを始めました。ことが終わるとその女の先輩はブルブルと震えだし、泡を吹いて気絶しました。私は子供ながらに事の恐ろしさを感じ怖くなり、目を伏せました。救急車で運ばれた先輩は一命はとりとめたものの、退院してきた時には別人で
養護福祉施設に入っていました。その中学校に入ると全員がこのようなことをするのかと思い、私立中学受験を決めました。

1年間の短い受験期間でしたが、有名塾にも通わせてもらい、
成績はグングン伸びていきました。

2月初旬志望校受験

2月末結果発表

3校の受験で手ごたえがあった学校は1つ。

見事に不合格

すぐさま2次募集(3月半ば)を申込み再度チャレンジ。

結果は見事に不合格

私は行きたくなかった地元中学に入学します。
入学まで時間が短く、とにかくあわてて制服をつくり、
必要なものの購入を始めました。
どん底に落とされていて落ち込む暇もありません。

入学すると、すぐさまその近所の知り合いの中学生グループの
更に後輩から、ハンドボール部に誘われます。

私はルールもわからない、見たことすらないハンドボール部に入部します。
先輩たちから可愛がってもらってはいたが、
部活が終わると雀荘に入り浸り、タバコ、酒といったものを強要されます。

もう救いようがない立場から逃げ出したく、ちょうど1学期が終わるころ
担任の先生からバレーボール部の入部をすすめられます。

イジメにあっていたわけではなかったのですが、とりあえずバレー部に体験入部しました。

するとバレー部の先輩はハンドボール部の先輩たちをまるで舎弟扱い。
力関係がはっきりしていて、バレー部は先輩たちからなにかされることは
ありませんでした。

はじめてみるその光景に
格好良さと憧れとわけのわからない自信に満ちていました。

バレー部は市でも県でも絶対王者でしたので、私たちの代もその
精神を引き継ぎます。
全体的に背の低い学年でしたが、不屈の精神で勝ち続けました。

通常3年生の夏の大会で引退ですが、バレー部は秋まで後輩指導をします。
ほとんどがバレー推薦で高校に入学します。
私たちの代もそうでした。

諦めてはいけないことを体感する

12月に志望校決定するときでした。
私は中学受験で不合格であった高校を志願しました。

偏差値は合格圏内まで程遠く、無謀な受験とまで先生に言われましたが、
はじめて自ら勝負に出ます。

一般的にいうすべり止め校なしで受験します。
失敗すれば中学浪人か就職です。

12月から1月31日までほとんど寝ずに勉強していました。

そして向かえた2月1日受験。

見事に合格

郵便ポストに合格通知が届いたのは2月5日。
その間は学校へも行かず麻雀にあけくれていました。

諦めては何も始まらない

はじめて感じた感触でした。

いまでもあの日のことを忘れることはありません。

なぜならその時植えついた

“ネバーギブアップ精神”

そしてそれはその先に訪れる壮絶人生の始まりっだったのです。

挫折の連続に続く