おやじの独り言

当時の中学校の頃の部活は
今では考えられないような練習を毎日していた。


市の大会や、県大会などに多少顔をのぞかせるような学校であれば
練習はどこでも厳しく、うさぎ跳びやスクワットなど筋トレがスポ根魂で
消化させるメニューとなっていた。

スポ根バレー部

多分に漏れず、私の学校のバレーボール部もそうであった。

体育館がないから勝てた

我々の中学校には体育館がなかった。
市の体育館が隣接していたが、
各クラブの持ち回りであり、2週に1回しかも土曜日の夕方18:00~20:00のみであった。

週に3回は校庭の隅にネットを張り、冬の寒い日も関係なく外で練習するのである。
残りの日は学区の離れた公民館と小学校の体育館を借りて
練習していたのである。

時には外での練習後に公民館まで移動して練習をしていた。
他の部活と比べても練習時間は圧倒的に多く、
日曜日は他県に練習試合に行っていた。
正直、元日以外休んだ記憶がない。

体育館での練習は楽であった。
外でのサーブは風も予測してレシーブするなど、
高度な技術が要求されることとなる。
フライングレシーブは体育館では普通にできるが
外ではよほど上手に身をかわさないと
傷まみれになる。

自然と技術力はあがった。しかも外では壁がないため他の部活動と
隣接しているため、ボール拾いは命がけのダッシュとなる。
脚力もつく。現に部員のほぼ全員は短距離も長距離走も
陸上部より速く、市の駅伝大会にも学校を代表して
出場することが多かった。

関東大会での悔しさをバネに

1つ上の先輩が関東大会に出ることとなり、
自分の学年からも3名出場することとなった。
2試合目の試合、茨城県の全体的に小柄なチームとの対戦であった。

雰囲気的に負ける予感もなく挑んだ。

結果は完敗であった。
原因は圧倒的なレシーブ力の差にあった。

どんなに強いアタックをブロックをすり抜けて
打ったとしても必ず拾われ我々のミスを待つ戦術であった。
今までに経験したことのない防御力の強さに木端微塵にされたのだ。

決してレシーブが下手なわけでもない。
それ以上にあのボールに食いついていく精神に負けたのだ。

私の出番はほんのわずかであったが
悔しくて仕方なかったことを今でも忘れていない。

ほんのわずかな心の隙間

3年生の夏の県大会は最後となる引退試合だ。
昨年の覇者の我々は連覇をかけて挑んだ。
楽勝でベスト4まで進み、事実上の決勝戦と言われた
上尾市の強敵との準決勝。

力は互角であったが、勝てる自信があった。
なぜなら、我々のチームは3年生になってから
急激に全体身長も上がり、今までの力とは比べ物にならない
くらいのサーブ力、レシーブ力、アタック力をつけたからだ。

私はキャプテンという仕事柄、全体を見渡すことが多く、
その力の上昇を肌で感じていた。

間違いなく優勝できると思っていた。
1セット目を楽勝で取り、向かえた2セット目。

ガンガンいける予定が、あっという間に点差が開き、
コートでみんなとアイコンタクトを交わしながら
まだ、いけると信じていた。

冷静に冷静にと思いながらも体が思うように動かなかった。
チームのみんなも同じ様子だった。

わずかな差ではあったが、結果は3位。

これで引退かと思った瞬間、ほっとした感じと
悔しさが込みあがってきた。涙も自然とでた。

そして瞬間思ったことは負けた原因は
力の差ではなく、自分が許した少しの心の隙間であった。

全力を尽くした私はバレーボールからの引退を誓った。

スポ根で得たもの

10名いたメンバーの多くはバレーボール推薦で高校に進み
直接ではないけれど、多くはスポーツ関連の仕事をしている。

一緒に厳しい練習に耐え、先生から殴られながら肩を並べた
同志にほこりを持っている。
もちろん今でも親しくしている。

挫折の連続につづく