おやじの独り言

必ず通る”人生の通過点” は全員共通である

2歳になるときに、東京の板橋区の長屋から
埼玉県の川口市に引越をしてきた。

ピンポイントでその引越の場面だけが鮮明に頭にある。

当時、隣の家には3つくらい年上の女の子が住んでいた。
その子は、私のことをよく可愛がり、一緒に遊んでくれた。

といっても遊んだ記憶はほとんどなく、一緒に取った古くさい写真だけが
残っている。

生まれてまもない頃の画像

自分です

たぶん、この後ろにいる子だと思う。

引っ越すときに、この女の子が何故か怒った顔をしていて、
その記憶がやたらと鮮明なのである。

父親は古紙原料の回収の仕事をしていたので、仕事で使うトラック(たぶん3輪車)
に荷物を乗せ、母親に抱きかかえられながら助手席に乗った記憶だ。

当時は舗装されていない道路も多く、やたらと揺れたことがまだ体に残っている。

断片的な記憶

引越し先は埼玉県の川口市だ。
まだ、空き地も多く、少し高台に雑草が茂っていた画像が思い浮かぶ。
残念ながらそこから先数年の記憶はほとんどない。

なぜそのタイミングのそのシーンだけが記憶に残っているかは
不可解なことである。

このときは未来のことは想定していない

幼少期に未来の自分像を想像できる人はほとんどいないはずである。
私もこの時点で、学生時代の挫折感、ビジネスにおいての敗北感を味わうとは夢にも思わなかった。

必ず通る”人生の通過点” は全員共通である