おやじの独り言

“予備校”に費用をかけて浪人生活が始まる

山手線 高田馬場駅到着。
あまり考えもせず早稲田予備校へ。

城北埼玉時代の友人と共に申込。

最初の2か月間は猛勉強した。

予備校での記憶をたどってみた

萩野 浩基教授との出会い

一瞬にして変わった考え方

英語の授業の萩野浩基教授、当時ロンドン大学の客員教授であり東北福祉大学の講師であったと思う。

ものすごくデタラメな授業であり、英語という英語はほぼ教わらなかった。というのもテキストはすべて英字新聞のコピー。それを解説するだけの授業だ。

時事問題や政治の問題など、自分の考えをどんどん話す。説得力もあり話が面白いので生徒からは圧倒的な人気があり、300人以上入る教室もあっというまに埋まっていた。

衝撃だったことは今の高齢化社会や介護問題、医療の問題については積極的に生徒に考え方をぶちまけていた。少子高齢化の問題や苦しむ農村の問題にも触れとても新鮮だった。

英字新聞はすべてその時事問題であり、英語の文法の問題などは一切触れることはなかった。
あくまでも感覚のような気がした。

そして自分はと言えば、世の中には学校に行くことよりももっと大切なことがあると感じてしまい、福祉や海外の貧困層の話にのめり込んでいった。

なくなった英語アレルギー

英語に関しては文法からヒアリングからとにかくアレルギーだった私も夏にはなぜかアレルギーから解き放され、好きな教科に変わっていた。
しかしながら、英語の成績はたいして上がらず、興味あるのは時事問題、政治の問題ばかりであった。

単純な公式構造

少し単語や文法を覚え、ある程度方程式のように公式化していった。公式化してからというものは少しずつ成績もあがり、何とか普通の浪人生くらいまではたどりつけた。

しかしながら高校1年生で頭が止まっている私には大学受験の勉強はあまりにもハードルが高かった。

なんとなく成績もあがったところで、気が抜けてしまい、受験前だというのにあまり勉強しなかった。そして受験した大学は超難関大学ばかり。

自信があったせいかひどく落ち込んだ記憶がある。

 

更に高校時代最後からスタートした、大学生のまねごとのパーティーサークルに火をつけたのもこの時期だった。

今思うこと

萩野 浩基教授との出会いで自分の愚かさや、弱いものに手を差し伸べるという勇気ある行動に魅了されていながら、最終的には楽な方向に引き込まれていったことを情けなく思っている。あの時、興味をもったことに専従していれば、もしかすると違った人生だったかもしれない。

今の人生を悔やむことはないが、あの時萩野教授が私たちに伝えたかったことが今になってわかるとは本当に自分は無頓着な人間だ。

ただ、今思うことは、少子高齢化が日本の経済や社会に多くの問題を与えると予想していた教授には脱帽だ。当時まだバブルのなごりがあったにも関わらずだ。

その後教授は政界に入り、東北福祉大学の学長までつとめていたみたいだが、残念ながら数年前にお亡くなりになっている。

しかし、教授の教えは私の胸にはしっかりと刻まれている。

二浪は駿台予備校へ

二浪が決定した私は少し腐っていた。全くと言っていいほど成績が上がらず、パーティーサークルも解散させ、ひたすらパチンコ通いをしていた。

お付き合いをしていた彼女とも別れ、とにかく腐っていた。

人生のグレーゾーン

二浪時代はまさに人生のグレーゾーンで本当に時間を無駄にした気がする。

深い記憶もない。印象に残ることがあまりない。

新しい出会い

そうはいっても、予備校に行けば隣近所で友人ができる。しかし、ここが問題であった。

心の隙だらけの自分には弱いものを見据えた少し偏った考え方の人間が集まる。宗教を批判するわけではないが、何かの信者みたいな人が多く集まってきた。

一瞬私も心を奪われてアングラ舞台などの舞台の養成所に申し込んで通った。不幸中の幸いで受験間際であったため深くはまることもなくすぐに退団した。

このころに有名大学でなくてもいいと思い、自分の確実に受かる大学のみを受験した。
しかも当時の周りからの情況から離れたく神奈川県の大学ばかりを選択していた。

開き直り

私は東海大学文学部北欧文学科へと進む。
偏差値レベルでは低い学校であったため、城北埼玉高校時代の友人には
城北埼玉始まって以来の東海大とからかわれていた。

※実際には先輩がいました。

しかし、このからかわれていたことがキッカケとなり開き直ることができたのでした。
それは、まわりが超有名難関大学にいようが私が二浪していようが同じ付き合い、同じ雰囲気で接してくれたからでした。

別れ

二浪時代の友人とはここで別れとなります。
本来なら、哲学的宗教的に隔たりがあっても友人として付き合うべきなのかもしれません。
しかしながら、ほぼ自然消滅状態で距離があくこととなったのです。

予備校時代に得たもの

予備校時代に得たものは何だったのであろうか?
少し思い出しながら考えてみた。

この先の不安と期待

先にある不安感だけはよく覚えている。当時はバブル崩壊まぎわで世の中が景気の悪さと新しい時代の幕開けムードで混沌としていた。
就職難になるとも言われ、大学時代をどう過ごすかをよく考えていた。

大きな挫折感

挫折というと少しオーバーかもしれない。ただ、一浪の時は割り切りもあり清々しい気持ちであったが、二浪時代は本当に人生のグレーゾーンで20歳という若さなりの挫折感は感じていた。20歳にして人生の負け組と思っていたのだ。

立ち直るスピード感

自分のことがよくわかる時期でもあった。挫折感を味わいながらも大学入学と同時に知り合うメンバーが素晴らしく、新しく彼女もできたおかげであっという間に立ち直ったのだ。とても今まで下を向いていた人間とは思えないほど、前向きになり、持ち前の行動力を出していった。
実に単純、そしてまわりに左右されすぎだろうとも思う。