おやじの独り言

“経営学”は独自で学ぶもの

大学は東海大学というマンモス大学に進学した。

神奈川の湘南校舎であったためとても埼玉から通うのは厳しく、相模原市に一人暮らしすることにした。やりたかったバーテンダーのアルバイトも隣の町田駅でやることになり、エンジョイキャンパスライフを送る準備は万全だった。
がしかし、中々大学の雰囲気になじめなかった。

大学というスケールの大きさにビビる

友人も沢山出来たが、二浪での入学でどうしても付属校あがりの人と年齢差を感じてしまい、少し距離感ができてしまったのだ。そうこうしているうちに付属校上がりの彼女もできて、やっとなじみ始めたころ、自分の学部はほぼ学校に行かず、交代で代返すれば1週間に2回学校に行けば済むことが判明。

パーティーサークルや企画サークルの先輩たちとも親しくなり遊び心に火がついてしまったのである。

今までは埼玉県・東京都に住んでいる友人がほとんどだったが、大学では神奈川県・大阪府・愛知県他地方の友人も沢山出来た。

大学のスケールの大きさに自分がとても小さく思えた。

横浜ベイサイドクラブでの企画

親しくなった同じクラスの友人が横浜出身で彼とクリスマスに横浜ベイサイドクラブという当時では人気の倉庫でのパーティーを企画した。
12月25日の箱どりは至難の業で、当時の横浜市議会議員、神奈川県の県議会議員をも捕まえて何とか予約に取り付けた。
人気の日でもあり19:00~22:00というゴールデンたいむということもあり、箱280万円であった。

更に予約に協力してくれた議員2名に各50万円。他警備員などの経費を含め600万円の予算で事が運んだ。学生規模としては大プロジェクトであり、企画者本人もビビりが入った。

ざっくり500人の箱なので、単純に一人12,000円計算。当時のパー券相場は3,000円~4,000円。せめて5,000円だろうということで、1,200枚のパー券を作り、各サークル、団体にさばいた。

当たり前だが売れたのは100枚程度でこのままだと企画倒れになると予想し、ある作戦にでた。

赤字にならない方法とは

 スポンサーをつける

1000人の学生が集まるパーティーですから企業にとっても宣伝できるチャンスです。さっそく名刺を作って企業回りです。コネもなかったためほとんどが門前払いとなりました。がここで少し頭をひねり、企業にメリットのある提案をします。
それは、大手企業ではなく、当時人を欲しがっていた中小企業の旅行代理店に絞ったのです。中小企業は人材を欲しがっています。宣伝広告費をかけても大手企業に人材を取られてしまうので結局高い中途社員を雇います。しかし、このような大学生の集まりに自分たちの会社をPRできるチャンスが生まれるわけです。旅行の添乗、交通手段の確保など学生と話す機会が沢山できるため自社に就職を進めることができます。ましてや卒業旅行の宣伝もできるため一石二鳥です。私は条件にパーティー案内ちらしとパンフの作成と動員協力、ペアでハワイ旅行を提案しました。
見事承諾されスポンサー契約にこぎつけました。
これで経費の3分の一と景品は確保できました。

 ネームバリューをつける

今でいうブランディングみたいなものです。

名のない企画団体がいきなりこんなパーティーやっても誰も見向きもしません。

しかし1度実績を作って成功すればまたその人はまた来るのです。しかも友達を誘ってくれます。いまどきの口コミ術に似ていますよね。

名前を売るために6月15日~6月25日までの間に横浜の小さなディスコを使いサマーナイトクリスマスという題名で企画を打ちました。

6月という時期も幸いし、新入生が集まり赤字スレスレで企画は成功しました。結果クリスマス本番チケットもこの時点で100枚近く売れたので、先も見えてきました。

そうしているうちに夏の合宿シーズンになりテニスサークルなど各団体にも売り込みました。

動き回っていることで協力者も増えてきて最終的には多くの団体の会長が参加者でなく企画実行者になってもらうようになりました。

これが独自で生み出した”経営学”です。

今思うこと

時代背景も違うので今に当てはめることは出来ないが、このような回顧録を作っていると思うことが1つある。

それは、今失いかけたエネルギーが多くあったこと。

そしてそのエネルギーは怖さ知らずもあるが、失敗しても何があっても目標に立ち向かう強靭な精神力があったことです。
更には、独学で”経営学”を学べたことは今の財産になっています。

年齢を重ねて守らなくてはいけないものが沢山出来てしまい、いつしかそのようなエネルギーは消えています。

やはりここで独自の”経営学”を武器にもう一度奮起したいと思います。